◎天災は忘れたころにやってくる <天災>

 【暴風雨】        【竜巻】 
 【三河地震】       【台風13号
 【伊勢湾台風

                     


【暴風雨】

 明治22年9月11日。暴風雨により蒲郡では東海道本線付近まで浸水し、家屋流失10戸、金平村では全壊9戸、半壊2戸、一色村では全壊3戸、半壊2戸、大塚村大字大草では津波により浸水家屋33戸、全壊16戸溺死者14名であった。


【竜巻】
 明治36年7月9日。竜巻が大塚村の延長8キロに渡って発生し、死傷者5名、家屋20戸が倒壊した。


【三河地震】
 三河地震は、昭和20年1月13日、午前3時38分12秒に渥美湾北岸を震源地としておこり、その規模はマグニチュード7.1の局地的地震であった。
 不幸なことに、発生時刻が真冬の未明時であったので、人々のほとんどが床の中で熟睡していたときであった。このため、激しい家屋倒壊によって就寝中に圧死した者が多かった。被害は、県下で死者2,252名を数え、そのうち形原町では211名、西浦町では3名の圧死者を出した。
 形原神社境内には、昭和52年「三河地震忘れじの碑」が建てられた。


【台風13号】
 昭和28年9月25日、台風13号がこの地方を襲った。海岸地帯の宿命である高潮が西浦から大塚までの海岸線を浸した。
三河地方では、15時頃より激しい暴風雨となり、1時間20〜40ミリの豪雨が3、4時間降り続き、19時から30分の間に、白波を立てて山のような高潮が押し寄せて、海岸一帯は荒れくるう海と変わった。1時間程で潮は引きはじめ、見る見るうちに減水し、21時頃には全く風雨も止み、空の雲間に月と星が見え静かな夜となった。海岸一帯には、木材や船舶が打ち上げられ、多くの家屋が倒壊し、海岸堤防の決壊62カ所で延長11,132Mに及んだ。三谷町一帯から丸山町にかけては国道247号を越えて水深2M以上の所もあり、蒲郡町も海岸一帯は鉄道線路付近まで水に浸った。死者10名、住家の被害5,549戸に上った。道路の決壊(4カ所)、橋梁の流失(4カ所)、田畑の流失埋没など数知れず大損害を与えた。又、塩津地区では約20町歩の塩田があったが完全に破壊され、その後塩田の多くは復興されずに蒲郡競艇場に替わった。


【伊勢湾台風】
 昭和34年9月26日(土)伊勢湾台風は、かつてない高潮を伴い、海岸堤防を破壊し、多大の災害をもたらしたのである。異常高潮位は、名古屋港では最高は3.60M、形原漁港では3.30Mと推定されている。それに強風による高波と重なって、津波のような高潮が沿岸地帯に押し寄せた。
 蒲郡市では、停電と風雨の中で真暗となった20時ごろから21時30分にかけて、海岸堤防24カ所が決壊し潮水が沿岸一帯に侵水した。
 しかし、蒲郡市は高潮及び波浪警報を受けると直ちに市民に避難命令を発したため、物件災害はあったが、水死者は幸い一人も出なかった。死者五名は水死者ではなく家屋倒壊と復旧修理による犠牲者であった。
その後蒲郡港は、延長3,483Mの護岸補修工事がなされた。又、一般堤防は昭和34年から昭和38年の5カ年間で、海岸線14KMにわたる高潮防潮堤を完成させると共に、水神埋立地、東前埋立地、東府相埋立地の造成をあわせて行った。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送