◎蒲郡を愛した文人たち (蒲郡が扱われている主要文学作品)

[菊池寛]        [川端康成]
[谷崎潤一郎]     [三島由起夫]
[志賀直哉]      [与謝野晶子]

                     


菊池寛が大正11年3月から大阪毎日新聞に連載した長編小説「火華」で、蒲郡の海と常磐館の素晴らしさを全国に知らしめて以来、川端康成を始め谷崎潤一郎、池波正太郎、山本有三、三島由起夫、高浜虚子、与謝野晶子ら多くの文人たちが、常磐館や蒲郡ホテルを訪れ、蒲郡を描写した作品を残している。

[菊池 寛] 火華(大正11年)−大阪毎日新聞社
〜蒲郡の淋しい駅、あの駅を通り過ぎる旅客の誰が、この淋しい街の海岸にこれほど壮麗な旅館のあることを思い浮かべるだろう

[川端康成] 驢馬に乗る妻(大正14年)−角川文庫
〜驢馬はまた哀れな頭を振って歩き出した。丘の南は四月のように霞んで見える。二つの半島に抱かれた、暖かい蒲郡の入り海だ。

   旅への誘い(昭和15年)−新女苑連載
〜左の方から、大島、小島、渥美半島、姫島、三谷の町、そうして驢馬のいた蒲郡ホテルの丘、蒲郡の町、亀岩、鶴ヶ岡、形原の町、西浦半島……。
しかし、幼い早苗のことで、そのような案内には、あまり興味がないらしく、幾度も振り返って眺めるのは、観光ホテルであった。丘の頂きのホテルは、北方の五井山の山々より高くそびえて見えた。 

[谷崎潤一郎] 細雪(昭和21年)−中央文庫
〜幸子たちは、蒲郡に遊ぶのは初めてであったが、今度行く気になったのは、かねてから貞之助から、そこの常磐館のことを聞かされていたからであった。毎月一、二回名古屋へ出向く貞之助はぜひお前たちをあそこへ連れて行ってやりたい、悦子などはきっと喜ぶであろうと云い云いして、今度こそはと、二、三度も約束したことがあったが、毎度お流れになってしまったので、今日の彼女たちの蒲郡行きは、貞之助が思い付いたのであった。

[三島由起夫] 宴のあと(昭和34年)−新潮文庫
〜目の前には三河大島を控え、西浦半島を、東三谷の弘法山をめぐらしている海は、穏やかに輝いていたが、沖の霞に渥美と知多の両半島がつながって見えるので、海というより湖のようで、角立ての棚を海中に沢山立てたのが、いっそうこの印象を強めていた。空には雲らしい雲もなく、日はあまねく、それがそのまま無きずで切り取って来てそこに置かれて天上の一刻のように思われた。

[志賀直哉] 志賀直哉全集第十三巻 書簡二
 〜10月26日 
  漸く腹少しよくなった 
  仕事も出きなかったので
  今日から始めるが、駄目なら帰る 草々
    蒲郡ホテル  志賀直哉

[与謝野晶子] (昭和10年)
  蒲郡 ひそかにそだに 
   打ちかくる 波の音きく
    ながき橋かな



◎その他の主要文学作品
高浜虚子   「ホトトギス」
南條範夫  「おれの夢は」
山本有三  「無事の人」
庄野潤三  「三河大島」
井上 靖  「ある落日」
池波正太郎 「よい匂いのする一夜」

 
*昭和32年、13号台風災害復旧状況ご視察のため 昭和天皇、皇后両陛下が蒲郡ホテルにお泊まりになった時にお詠みになったお歌

  あさがすみ たなびく海に 竹島の
   かげをうつせる
         宿の見わたし


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