◆河村名古屋市長(090525)

 「変人」河村氏が予想どおり名古屋市長になりました。
 掲げる公約は、「高度成長が見込まれない時代」「心の豊かさの追求する時代」「市民が主役」「市民ができないことを役所がする」等の時代の変化の中で的を射た内容ばかりだと思います。市民は市長を支持するだけでなく、自らボランティアとして実戦を積み重ねられるか。そこまで理解して河村氏を市長にしたのか。今後の名古屋市の動向が注目されます。

 是非名古屋市の「庶民革命」の波が蒲郡まで波及することになることを大いに期待しています。


                     
中日新聞
【名古屋市長選】
黒船襲来<下> 壊すのか創るのか
2009年4月29日

 「わしは庶民の代表。皆さんとおんなじで」。28日朝、新名古屋市長、河村たかしさん(60)はそう言って、市営バスに乗りこんだ。通勤客でぎゅうぎゅう詰めになっての初登庁である。

 行く先々を10台近いカメラが追い掛ける。「皆さんのおかげ」と神妙な面持ちで市長のいすに座り、でも「(座り心地は)大したことないな」と笑い飛ばした。

 この日のために特注した長さ10メートルの巨大な垂れ幕を2本、庁舎内に掲げた。「日本減税発祥の地ナゴヤ」「日本民主主義発祥の地ナゴヤ」と、公約を示す大きな文字が躍る。

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 「パフォーマンス」ともやゆされる言動の原点は、県議選や衆院選に落選し続けた経験にある。当時は無名の泡沫(ほうまつ)候補。なんとか注目を集めようと知恵を絞った。

 「銭湯作戦」では有権者との「裸の付き合い」をPRして報道陣を集め、友人に銭湯の客になってもらう演出までやった。「ガンジー作戦」では、徒歩で支援者の自宅を泊まり歩いた。これが後の自転車街宣に発展し、「庶民の代表」をより印象づけた。

 28日に河村さんとの引き継ぎをした前市長の松原武久さん(72)は、「世論を背景に進めるのは一つの政治手法だが、修復できない傷をつくることもある」とくぎを刺す。

 市民税10%減税についても「実現できたとしても、税収が減って行政サービスが低下しては意味がない」。

 米国では過去に多くの大統領が減税を公約に掲げて当選したが、財政赤字を増やす側面もあり、ポピュリズム(大衆迎合主義)との批判がつきまとう。

 国内各地で注目されたタレント出身の知事らには、後に市民生活を混乱させたと批判された人もいた。

 選挙中に名古屋入りした自民党の小池百合子元防衛相は、河村さんを「カットばかりで創造をしない人」と批判し、「カット、カットの後で名古屋はどうなる? 破壊者に名古屋をそっくり預けるのか」と問いかけた。

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 「ちょっぴり織田信長の気分」。初登庁を前にした河村さんは上機嫌だった。

 松原さんは前日の退任会見で、「三英傑の中では、260年の太平の世を築いた家康が一番えらいと思う」と語った。「信長なら、うまくいかなかったのではないか」。自らを信長に例える河村さんを意識した発言なのかもしれない。

 河村さんを市長に選んだのは51万もの票を投じた市民。この黒船が名古屋を壊すのか、創造するのか、注視していく責任が市民にはある。名古屋の場合、市民36万人の署名を集めれば、市長をリコールすることもできる。

 (連載は、社会部・豊田雄二郎が担当しました)



                     
中日新聞
【名古屋市長選】
黒船襲来<中> 揺れる「対決路線」
2009年4月28日


 175センチ、82キロの大柄な体を軽自動車に押し込めて“黒船”はやって来た。名古屋の新市長に選ばれた河村たかしさん(60)。当選から一夜明けた27日午前、当選証書を受け取るため、市役所に到着した。

 出迎えた職員に軽く手を挙げると「ありがたいこってすわ」。

 選挙中、「税金で食っとる役人は極楽」「役所にはウミがたまっとる」と攻撃された職員らには、「私はウミか」「給料はどうなるのか」と反発と不安が入り交じる。幹部らと初顔合わせをした河村さんは早速、市長公用の高級車を売却し、軽ワゴン車に替えるよう指示。「庶民革命」を掲げた公約を早くも実行に移した。

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 投開票日の夜。23万票の大差で敗れた細川昌彦さん(54)を支持した自民・公明は、市議会で28年ぶりの野党転落が決まった。自民の渡辺義郎団長は「われわれが野党というより、新市長対オール議会という形になるのでは」と、対決姿勢をあらわにした。自民県連幹部は「自公の結束を固めて対決路線でいくしかない。民主から離れて来る議員も取り込む」と手ぐすね引く。

 河村さんを推薦した民主系は全75議席中28議席。対峙(たいじ)した自公は合わせて37。河村市政は就任早々の予算案を否決された本山政雄市政(1973−85年)と同じく、少数与党での船出となる。

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 市長と議会が全面対立した場合はどうなるのか。地方自治法上、議会から不信任案を突きつけられない限り、市長に議会を解散する権利はない。だが、河村さんの脳裏には究極のシナリオがある。名古屋市の有権者数で計算すると、市民36万人の署名を集めれば、議会解散の是非を問う住民投票を実施できる。住民投票で過半数が同意すれば議会は解散となる。

 当選後、報道陣に議会対策を問われた河村さんは自信ありげに語った。「私に投票した51万の市民が市民税減税をやってくれと言っているのに、議会も反対できんでしょう」。舌鋒(ぜっぽう)は徐々に鋭さを増す。「反対するなら、議会は庶民の味方じゃなくなってしまう」

 自公の市議の間では「これだけ負けると何も言えない。むちゃな反対をすれば、こっちが悪役になっちゃう」「民意は否定できない」と、妥協点を探る空気も漂い始めた。

 51万票。市長選で過去最高の得票という「錦の御旗」こそが、議会や職員を敵に回すことも恐れない河村さんの強みだ。

 ただ、これまではその御旗を河村さん1人で担いできた。今後は2万5000人の市職員とともに担がなければならない。



                     
中日新聞
【名古屋市長選】
黒船襲来<上> ナゴヤに河村革命
2009年4月27日

 列島を襲った春の嵐に乗り、名古屋に“チェンジ”の風が吹いた。国政の2大政党が激突した26日の名古屋市長選は、変革を訴えた河村たかしさん(60)が圧勝した。国政からくら替えした「総理をねらう男」は、当選後の第一声で「名古屋から本当の庶民革命が始まる」と宣言した。過激な言動には反発も強く、「市民税10%減税」の公約実現は容易でない。同市長選で過去最高の得票という圧倒的な支持を得た“庶民”市長の力量が試される。

 「市民税の10%減税は絶対やるでね。もしやれんかったら、わしを名古屋港か堀川に沈めてちょーよ」。びしょぬれになった河村たかしさんが絶叫すると、支援者から「げんぜい げんぜい」のコールも起きる。

 26日午後9時15分すぎ、「当選確実」の報が伝わった。舞台は、名古屋市東区の事務所前に設置されたトラックの荷台。「バンザイ」の歓声に合わせ、計12回も跳びはねる河村さん。頭にはバケツから、計5杯の水が浴びせられた。

 壇上に政党関係者はほとんどいない。皆、普通のおじさん、おばさんばかりだ。大好きな中日ドラゴンズの帽子をかぶった河村さん。「(圧勝は)庶民のもとに政治を取り戻そうという声。歴史に残る街を皆で一緒につくっていこみゃあ」

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 支援者の握手攻めにあう河村さんの脳裏に去来したのは、4年前の10月に亡くなった母つや子さんの顔だった。「おふくろが生きとったら、なんて言っただろうか」

 市長選に挑戦しようとしたのは3度目。初めて出馬表明した24年前は「政界の師」と仰いだ故春日一幸元民社党委員長に遮られた。そして、4年前の2度目に立ちはだかったのは母だった。

 「出馬するなら、私を殺してからにしろ」。市長選出馬をめぐって民主党内の反発も強く、息子が傷つくことを心配したからだ。母のひと言で、断念を決める。3選を目指した松原武久市長との激戦を期待した有権者を裏切る形で。

 カラオケの十八番は森進一さんの「おふくろさん」。♪お前もいつかは 世の中に 愛をともせと教えてくれた−の部分で、涙ぐむ。「世のために尽くせ」は母の遺言だった。

 「庶民の代表」との強い自負を持つ。演説で必ず持ち出すのは、フォークリフトに乗り、家業の古紙業に従事した思い出。司法試験には9回落ち続けた。「なんとか、はい上がってやる」。支えたのは、その思いだけ。

 1993年の衆院選初当選を前に、河村さんは語っている。「何度失敗してもやり直せる、希望や生きがいを持てる街にしたい。僕は名古屋が大好きだで」。古里への思いは、周りの反対にもかかわらず使い続ける名古屋弁に象徴される。

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 藤前干潟の保護、議員年金の廃止、議員宿舎への入居拒否…。衆院議員として、信念を貫いてきたとの誇りがある。ただ自らを「ワニ」に例え「権力者にかみつく」言動は、敵も増やした。

 今月上旬、「市職員の給与カット」などの河村さんの公約に反発し、自主投票を決めた連合愛知の幹部からメールが届いた。「これまでに連合が出した推薦決定書や推薦状も、残らず当方に返却願いたい」

 河村さんは無視を決め込んでいる。だが、民主推薦で当選した市長として友好団体である連合とけんか別れするわけにはいかない。市民に約束した公約の実現には、議会との全面対決も待っている。

 市政にとっての「黒船」河村新市長がもたらすのは市民の幸福か、単なる混乱か−。「まぁ、名古屋をおもしれえ街にするでよ」。本人は不敵に笑う。



                     
中日新聞
名古屋市長選 個性の勝利かすむ政党
2009年4月27日 社説

 総選挙の前哨戦とも注目された名古屋市長選を、民主党前衆院議員の河村たかし氏が制した。勝因は、庶民性や個性であり、訴えの分かりやすさだった。推薦した民主による勝利とは言えない。

 主要政党の「相乗り」が崩れ、国政与野党がぶつかり合う、三十二年ぶりの激戦だった。

 河村氏と、自民・公明が支持する元中央官僚らとの争いとなったが、選挙戦で目立ったのは、自転車街宣や名古屋弁の街頭演説など河村氏のパフォーマンスだった。

 実現すれば国内初となる「市民税の10%減税」という公約は、不況で家計に苦しむ有権者の心をつかんだ。「税金を払っとる方は苦しいが、税金でくっとる方は極楽」というフレーズで、裏金や税金無駄遣いなど世の中の公務員批判を代弁し、支持を集めた。

 個性的な河村氏の独壇場になった感のある中で、深刻なのは、総選挙を控えながら、自民、民主両党のアピール力のなさである。各候補の加勢どころか、足を引っ張らぬのが精いっぱいだった。

 西松建設の違法献金事件で小沢一郎代表の秘書が逮捕、起訴された民主は、千葉、秋田両県知事選に続く連敗を止めた形にはなった。しかし小沢代表は河村氏のいない間に事務所を五分程度訪れ、街頭での応援演説もしなかった。

 麻生内閣の支持率が多少持ち直した自民も、小池百合子元防衛相が応援に来た程度で、選挙の顔の不在ぶりを浮き彫りにした。

 今回の選挙を河村氏は「庶民革命」と呼んだ。本当の「革命」なら、これからが本番である。

 市民税10%減税のほか、市職員の人件費や議員定数の10%削減、地区ごとに選ばれたボランティア委員が地元のことを決める地域委員会の設置、市長給与を係長級と同程度となる年八百万円に削減−など、口にしてきた前代未聞の数々の公約実現が待っている。

 市民税を10%減税すると二百五十億円の減収になるが、どう穴埋めするのか。河村氏は「市役所の無駄を省く」というが、財政難で予算を切り詰めている同市のどこにそんな無駄があるのか。

 民主だけでは市議会で過半数に届かない。民主の市議団にも河村氏独特の政策への反発は強く、軋轢(あつれき)や混乱は避けられないだろう。

 二十八年間の相乗り市政でたまった「うみ」を出し、新しい市政の進め方を築く機会である。選挙結果は、それに対する有権者の期待の表れだ。

                     
中日新聞
夕歩道
2009年4月27日

 新名古屋市長に選ばれた河村たかしさんが著書の中でこう言っている。「国破れて議員あり 城春にして年金楽し」。つまり「議員・役人天国」だ。これを打ち破るのが「庶民革命だ」という。

 市民税の10%減税、市職員の人件費や議員定数の10%削減、市長退職金の廃止、年収も八百万円に減らすとも選挙中に約束した。けれども、本当に実現できるのか。そう簡単にことは運ぶまい。

 こうした政策の実行には、市議会の議決が不可欠だ。でも相当な抵抗や反発は今からでも予想できる。公約不履行の時は打ち首にというが、五十一万票の重さを思えば辞めて済むものではない。


                     
中日新聞
日の光、最後は我に 有力3氏、最後まで支持訴え
2009年4月26日

◆自転車の距離は315キロ 河村さん
 「市民税の10%減税は絶対やる。やれなかったら、私を堀川か名古屋港に沈めて」。河村さんは自宅近くの寺で開いた最後の集会でも、看板公約にこだわり。支援者に、実現性を強調した。

 午後9時すぎまで延々と1時間近く、話し続けた。最後は「今度こそは、今度こそは、市長」と全員で声を張り上げた。

 この日は、選挙戦に入り2度目の来名となった民主党の鳩山由紀夫幹事長をはじめ、盟友の松沢成文神奈川県知事、中田宏横浜市長らも名古屋入り。
「私たちのような“変人”が首長になり、自治体が互いに競争することで日本全体が発展していく」などと応援した。

 終日の雨にもかかわらず、最後も自転車街宣。かっぱに、ゴム長靴姿。連日の演説でガラガラになった声で「大雨の中を走っていくのも庶民革命」と自分に言い聞かせるように話し、ペダルをこぎ続けた。自転車に設置したメーターによると14日間の走行距離は累計で315・57キロだった。



                     

中日新聞
【名古屋市長選】
「ボランティア議会」で溝 河村氏と民主市議団
2009年3月11日

 4月の名古屋市長選に出馬を表明している民主党の河村たかし衆院議員(60)=愛知1区=と市議団の政策協議が難航している。河村氏の持論に市議団が“待った”をかけた形だが、合意できないままでは党の推薦決定はさらに遅れる可能性もある。

 争点となっているのは、河村氏がマニフェストの2本柱に構想する「市民税の1割削減」と「中学校単位のボランティア議会の創設」。市民税は今後、減税幅を議論することでほぼ合意したが、ボランティア議会に対する溝が深い。

 河村氏の説明によると、各中学校単位に一つずつ、選挙で選ばれた地域代表による“議会”をつくり、権限と予算を委譲する。防犯や福祉、子育てなど地域の問題は自分たちでお金の使い方を決め、解決してもらう。

 市議の一人が語る。「地域には今も町内会がある。防犯のパトロールやごみだしなど今はボランティアでやってくれているが、河村さんの構想はそこに金を出すという。混乱は目に見えている」

 河村構想の基は、2004年の地方自治法改正で始まった「地域自治区」制度。浜松市は全国に先駆け、4年前に「地域協議会」を設置した。町内会や婦人団体の代表で構成し、地域の声を行政に反映させるのが役割だ。

 同協議会には年3000万円が配分され、祭りやイベント、伝統芸能の継承など使い道を議論する。ただ最終的な決定権は市にあり、委員も市長が任命する。防災やごみなどの地域の問題は、今も町内会が引き受けている。

 同市の和久田明弘地域自治振興課長は「(河村構想とは)かなり違う。権限や予算の委譲は地域自治区の理念の延長線上にはあるが、限界はある。税金の使い道をチェックできなくなる議会が反対するのは当然」と話す。

 河村氏は具体的な構想を選挙戦で問いたい意向も示すが、市議団は「理念にとどめてほしい」と譲る気配はない。他陣営からは「一向に推薦を決めないのも、ある意味では良い宣伝。これも作戦ではないか」とうがった見方も出ている。



                     



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