◆王家の教え(081229)

 私は、王さんが好きだ。本当に誠実な人だと思う。王さんの名前の一文字が同じでよけいに勝手に親近感を持っている。これからも日本のために活躍していただきたい。

 さて、最近の子どもの躾がなってないと年取ったせいかよく思う。裏返せば躾をしたのは誰なのか。
我々は、物質的な満足を得、多様な個々の価値を尊重(?)するあまり、当たり前のことを当たり前にする躾を教えてこなかったのではないかと思う。







                     
産経ニュース(081226)
【王家の教え】(上)王貞治さんの信念「私は疑うことなく日本人」
 「周りのおかげでここまでこれた。これからは裏方として支えたい」

◆きずな

 本来なら25日には5月に就任した馬英九総統の表敬訪問を終えて台湾から戻る予定だった。かけがえのない実兄・鉄城氏の訃報(ふほう)に、すべてをキャンセルしたのは当然であるが、そこに王貞治という人間形成になくてはならない“王家の絆(きずな)”が見える。

 「兄貴にはかないませんが、王家の家訓をしっかりと守りながら生きていこうと思います」。23日の鉄城さんの葬儀で王さんが発した言葉である。王家の家訓とは『誠実』。大辞林によると「私利私欲をまじえず、真心を持って人や物事に対すること。また、そのさま」とある。王貞治さんという人物に30年余り接して改めて『王=誠実』を感じざるを得ない。

 「10歳違うし、僕が野球選手になるまではおやじ的な存在だったね」。兄が最初に始めた野球に、弟もほどなく熱中した。早実高に進んだこと、巨人入りを支援してくれたのも兄。5人きょうだいの長兄は、末っ子が本塁打を打って大喜びするたび「相手を思いやれ」と諭した。「ま、おやじの“考え”だっただろうけど」。だからどんなに劇的シーンでも感情を抑えた。後に鉄城さんは「言い過ぎた」と話したそうだが、王さんは「兄は間違ってない。どんな時も周囲への感謝が必要だと思うね」。

 父・仕福さんは戦前、中国から日本にやってきた。中華料理店を営み、登美さんと知り合い、必死に働いた。中国籍を受け入れてくれた隣人に、常に感謝を忘れない父の姿があったという。王さんの本塁打狂騒曲があった昭和50年代前半、球場に姿を見せた王さんの両親が「いつもお世話になっています」と深々と頭を下げる姿があった。隣人を大切に気遣う心で社会を生きるという、“普通の姿”があった。


◆しつけ

 家庭崩壊が言われ、崩れゆく日本。「家庭での“しつけ”ってのも大事なんじゃないかな」と口にしたことがある。家族を愛する、人を愛する、さらには国を愛する心。“父の血”を受け継ぎながら日本人以上に日本人として生きてきた。

 
「球場で国歌がかかる。場内アナウンスが“恐れ入りますが、皆さま、お立ちになるようお願いします”って。お願いするもんじゃあない。仙台(の球場)では“皆さま、お立ちください”なんだ。これが当たり前。メジャーではみんな立ち上がる。これが普通なんだ」

 2年前のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、海外メディアから辛辣(しんらつ)な質問が飛んだ。「あなたは日本人ですか?」。王さんは顔色ひとつ変えずに答えた。

「父は中国人だが、母は日本人です。私は生まれたときより日本で育ち、日本の教育を受け、日本のプロ野球人として人生を送ってきました。疑うことなく日本人です」。毅然(きぜん)とした態度にブレはない。WBCで世界一となり日の丸の前で胸を張って君が代を聴いた。これこそ本来、古き良き日本人が持ち得ていた心にほかならない。



【王家の教え】(下)“古き友”との関係大切に 子を思い親を敬う


 東京・目黒区の閑静な住宅街に、ソフトバンク・王貞治最高顧問の自宅がある。建て替えてすでに20年余。以前の家の表札にはこう書かれていた。

 「z.z.Wang」

 王貞治を英語表記すると「zhen(ツゥウェン)zhi(ツゥィ),Wang(ワン)」。そこに王さんの誇りと存在感があるように思えた。父・仕福さんの祖国を敬い、自身が日本で生まれ育って暮らすことの強い意志…。自己が環境や時間の変化にかかわらず、存在するというアイデンティティー(存在意義)であろう。


◆台湾籍

 以前、担当記者の一人が国政選挙の日に「王さん、選挙行ったんですか?」とつい聞いてしまった。「オレには選挙権、ないよ」と笑った。誰よりも日本人らしく生きているが、台湾籍である。昭和36年、巨人が海外キャンプを張るためにパスポートが必要になった。父は中国浙江省出身、王さんは日本で生まれ、どちらともゆかりはないが、日本と国交があった中華民国(台湾)を選んだ。それ以来、何度も訪ねて熱烈な歓迎を受け、友もできた。国際情勢の変化によって国交がない状態になったが、訪台は続いた。

 昭和50年のオフに「王貞治球場」の落成式に招待され、微妙な国際関係に断念させられたことがあったが、“古き友人”との関係を絶つことはなかった。平成14年5月、日本のプロ野球が海外で初の公式戦を行った。ダイエー監督だった王さんは、その地として台湾を選んだ。そして今月20日から6日間の日程で馬英九総統に表敬訪問、「台湾のプロ野球も20周年を迎えるし、これまで大きな応援を受けてきた。台湾の友人の方々を訪ねて旧交を温めたい」。12月上旬、台湾メディアにこう話していた。

ブレない王さんの姿があった。

 よく伝えられている話だが、子供に名前をつけたエピソードはほほえましくも王家の伝承がよく表れている。3人の娘に「王家の里を忘れてほしくないからね」ということで“理”の字をつけた。「理香」「理恵」「理沙」と命名した。親の愛情の深さと絆(きずな)が感じられる。

 子を思う親と、親を尊敬する子…。王家には人の出入りが多い。まだ子供が小さいころ、「ちゃんと、ごあいさつをしなさい」と、しつける王さんがいた。何度会っても、子供たちの礼儀正しさには感心する。書いてしまえば当たり前のことだが、当たり前にできない世の中で、自然と振る舞えている。


◆世界一

 父・仕福さんには夢があったという。2人の息子を1人は医者、もう1人は電気技師に…。いつの日か祖国のお役に立てる日が来ることを願って…。「オレの病気も兄貴で助けられたよな」。慶応大医学部出身の鉄城さんに紹介された北島政樹教授はその道の権威で、しかも同大学野球部の後輩であった。絡み合う運命の糸は、王さんをしっかりつなぎ止めていた。

 「兄貴は約束を守ったけど、オレはある意味、親不孝かな」。こう言って笑ったことがある。だが2年前のWBCでは各国代表の選手からサイン攻めにあった。優勝すると、当時ヤンキースのジョー・トーリ監督(現ドジャース)は「サダハル・オーこそ真の世界一監督だ」とたたえた。“世界の王”として十分に親孝行した証しであろう。

 50年の野球人生にピリオドを打った。「温泉でもユックリと…」が、いまの望みというが、来年の3月には第2回WBCがある。原監督率いる“サムライ・ジャパン”だが、王さんの存在なくして、世界へは飛び出せないだろう。(清水満)



                     

 ■王貞治(おう・さだはる) 昭和15年、東京生まれ。32年の甲子園選抜大会で早実高のエースとして優勝。巨人入団後は本塁打王に15度、3冠王に2度輝いた。通算868本塁打は世界記録。55年に引退。巨人、ダイエー(現ソフトバンク)監督として計4度優勝し、2度の日本一。平成18年にはWBCの監督として世界一に。同年7月に胃がんを手術。今年限りでソフトバンク監督を退任。


                     


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送