◆候補者(070727)

 群馬県知事の保守分裂選挙が7月22日に行われ、自民党公認候補が当選した。前自民党県議会議員経験者で、年は50前。妻子供もいる。1年前から、キャラバン隊を結成して県遊説をした第三の保守系候補がいた。結果は3位で当選できず。

 群馬といえば、小渕、中曽根、福田首相がいる保守王国。普通に考えれば、家族もいるのに、一人しか当選できない知事選に出馬するとは何と無謀な。負けても、選挙は楽しかったと言う。ただ政治家たる資質は十分のようである。これで本当に良いのか。



                     
BPnet m a i l 夕刊 
参院選、「国家のため」「誠実」「清潔」を叫ぶ人は要注意2007年7月19日
(田中 秀征=福山大学教授)

参院選がたけなわである。今回は377人が立候補をしているらしいが、地方選挙と違って遊説カーに出会うことは少ない。

ごくふつうの人からすると、「どうして選挙に立つ気になったのか」、それが候補者に対する素朴な疑問だ。なぜなら「選挙に立つことだけはいやだ」という人がほとんどだからだ。選挙は候補者を丸裸にして、さらしものにする。それだけでもふつうの人には耐えられないことだ。

私も“新党さきがけ”のころ、多くの人に出馬を要請した。立派な人材が尻込みするのは、まず、さらしものにされることに耐えられないからだ。

人前で演説するのは難しいもの
私が尊敬している石橋湛山元首相も選挙は苦手だった。話が面白くないから、時間がたつと聴衆が減ったという。

大平正芳元首相もそうだったらしい。演説をしても、「アー」、「ウー」が多くて一向に選挙が盛り上がらなかった。

時の吉田茂首相が大平候補の応援に来るというので陣営はそれに期待した。しかし、逆効果だったという。なんと吉田茂首相は応援演説で「私が信頼しているオオダイラ君」と言ったそうだ。信頼しているなら名前を読み間違えるはずがない。聴衆はしらけるばかりだった。当人はますます小さくなってしまったという。

石橋内閣をつくり、その官房長官となった石田博英という政治家がいた。最初の選挙のときに、前座がマイクを握って紹介しても、肝心の本人が見当たらない。周囲を見渡すと、当時はトラックであった遊説カーの向こうに人影が見える。180センチを越す巨体だから、すぐに“発見”できた。石田氏は、人前に立って話をするのが恥ずかしくて隠れてしまったらしい。その後、戦後政治の舞台で豪腕を鳴らした人だが、初出馬のエピソードはほほえましい。

ふつうの人なら、自分の顔写真が街角に貼り出されることに耐えられない。聞いてもいない人たちに向かって声を張り上げることもできない。昭和20年代は、ふつうの神経を持つ人たちが、日本の再建に使命感を持って「いやな選挙」を乗り切ったのだ。

自分のポスターの前で滑って転ぶ
私にもこんな恥ずかしい思い出がある。

奥信濃の街の宿に泊まっていた朝、タバコが切れてしまった。あいにくの大雪のなか、そばのタバコ屋に買いに行った。タバコ屋の前まで行くと、小路に3人ほどの若い女性たちが立ち止まってガヤガヤ言っている。私の顔写真のポスターを見て批評していたのだ。

引き返すわけにもいかないから、反対側に顔を向けて早や足で歩いていくと、運悪く、ちょうどポスターのところで滑って転んでしまった。亀がひっくり返ったような姿である。ポスターを見ていた人は、「ギャー」という大声を出した。その顔写真の男が、今、雪にまみれてひっくり返っているのだから当然だ。私がちょっと頭を下げ、雪を払いながらその場を立ち去ると、背後からその女性たちの爆笑が追い打ちをかけた。

国民を思うなら、とりあえず静かにしてくれ
近年私の会う政治家志望者の中には「一度白い手袋で手を振ってみたい」という人もいる。顔写真を貼り出すことが、恥ずかしいどころか生きがいに見える人もいる。

亡くなった宮沢喜一さんが晩年にテレビのインタビューを受けていた。「何のために長い間政治家を続けてきたのか」という趣旨の質問にしばらく考えて「国民の皆さんのためということでしょうか」と答えた。

「国民のために政治をしてきたんですね」とたたみかけて問われると、「いや、そう心がけてきたつもりです」と答えた。「心がけてきた」とは、いかにも宮沢さんらしいと敬服した。

頼まないのに役所を辞めて、駅頭で臆面もなく「国家、国民のために働く」と叫んでいる人もいる。本当に国家、国民を思うなら、とりあえずもっと静かにしてくれと言いたくなる。

ポスターにぬけぬけと“誠実”とか“清潔”などと大書している人も要注意だ。本当にそういう人なら、軽々にそんな言葉を使わないはずである。

ふつうの感覚を持ちつつ、志だけは常人の域を超えている政治家が必要
“政治家向きの人”は数多くいる。押しやハッタリが強く、人に恩を着せるのがうまい。いやがる人の手を引っ張り出してでも握手をする。そして、無内容な演説を情熱的にする。二言目には「国のため、国民のため」を乱発する。

こういう人たちばかりでは、決して政治は良くならない。ふつうの人の感覚や神経を持ちながら、志だけは常人の域をはるかに超えている。そういう一群の政治家が輩出しなければ日本の政治は変わらないだろう。

今の政治を見ていると、ぎりぎりの末期現象だ。まともな指導者が出てくる日は、意外に早いかもしれない。

田中 秀征(たなか・しゅうせい)

1940年長野県生まれ。東京大学文学部西洋史学科、北海道大学法学部政治学科を卒業。83年衆議院議員に初当選。93年6月に自民党を離党して新党さきがけを結成、代表代行。自民党時代は宏池会(宮沢派)に所属。細川政権の発足に伴い首相特別補佐。第1次橋本内閣で経済企画庁長官。現在、福山大学教授。「民権塾」主宰。

最近刊の「判断力と決断力」(ダイヤモンド社)をはじめ、「日本リベラルと石橋湛山」(講談社)、「梅の花咲く 決断の人 高杉晋作」(講談社)、「舵を切れ 質実国家への展望」(朝日新聞社)などの著書がある。


                     





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