◆名古屋市長選出馬断念(050105)

 「やっぱり、こんなことだ。」

 民主党の河村たかし衆議院議員の名古屋市長選出馬断念のニュースを聞いての印象である。総理大臣になる夢を捨てられないということか。たとえ時代を見据えた革新的な主張を持っていたとしても、自分かわいさゆえに断念するとは何ということか。

 河村氏は衆院選初当選前の85年には、出馬会見を開いて名古屋市長選への立候補を表明しながら、その後取りやめた。また、01年の同市長選にも出馬に向け動いたが、周囲に説得され断念している。

議員削減を主張しておいて、選挙の議員仲間がほしいなんてお話になりません。
今回でも捨て石になってもやるという覚悟は最初からなかったようだ。

 私の友人が、年賀状で河村氏支持の勝手連を結成すると意気込んでいたのに・・。TVタックルでハマコーに、「喝」をお願いしよう。

 大都市名古屋の選挙は、単なる一地方の選挙ではない。国を変えるほどの重要なものであった。河村氏が、そのことを理解できず、衆議院に固執するのは寂しすぎる。改革案を訴え続けるならば、
選挙に負けても男になれたはずなのに。


                     


(中日新聞050104)

名古屋市長選
河村氏 出馬断念を表明

 四月に予定されている名古屋市長選への立候補をいったん表明しながら、出馬断念の意向を固めていた民主党の衆院議員河村たかし氏(56)=愛知1区=は四日午前、名古屋市東区の事務所で「民主党の応援をもらえないと、(市長選は)どうにもならんと思った。非常に残念」と述べ、出馬しない意向を表明した。推薦を要請していた民主党から、出馬をやめるよう説得されたためで「力不足で申し訳なかった」と語った。

 河村氏は出馬断念に至った理由として、二日に党本部の平野博文幹事長代理から「党も混乱している。市長選出馬を思いとどまってほしい」と要請されたことを挙げた。三日に数人の支援者に相談したところ、全員が「党の指示に従った方がいい」と話し、最終的に出馬断念を決めたという。

 市長選をめぐっては、現職の松原武久氏(67)=二期目=も出馬を表明し、民主に推薦を要請。党側は、どちらを推薦するか態度を決めかねていた。しかし、市議団が松原氏支持で固まったほか、党を支援する連合愛知も松原氏推薦を決めるなど、河村氏を支持する声は党や関係団体からほとんど上がっていなかった。

 こうした状況について、河村氏は「(党内の)私に対する風当たりは、当初の予想よりも強かった。支持者の間にも『党の応援がないとだめじゃないか』という不安の声が出てきた」と述べた。出馬断念の意向は既に平野幹事長代理や、党愛知県連の古川元久代表らに伝えたという。

 河村氏の出馬断念で、市長選への立候補を表明しているのは現在のところ、松原氏一人だけとなった。共産党系市民団体が候補の人選を進めている。

■推薦もらえぬ不安 支持者に広がった■

 河村たかし氏との一問一答は次の通り。

 −なぜ、出馬断念に至ったのか。

 「昨年十月に出馬表明した時、有権者の反応は良かった。でも、党内の不協和音が報道されるようになり、民主党の議員なのに党の推薦がもらえないのかと、(自分の支持者の間で)不安が急激に浸透していった。仮に党が(松原氏も河村氏も推薦しない)自主投票に決めても、有権者には訳が分からなかったでしょう」

 −民主の推薦なしで戦う選択肢もあったのでは。

 「そういうやり方もあるかもしれないが、私は取らなかった。政治とは『勢力』であり、党内でそれをつくることができなかった。ただ、今回の私のように、現職に対抗して出馬したい議員が名乗り出た時にどうするのか、党のルールづくりが必要ではないか」

 −松原市政に対し言いたいことは。

 「市長退職金(一期約四千八百万円)の問題は、私が公約で言い出すまでほとんど知られていなかった。市民の目線から、考え直すべきことはあると思う」

 −今後の政治活動は。

 「国会議員としていろいろと戦うことがある。(持論の)議員年金廃止もあるし。まだ(政治家として)いろんなチャンスはあると思っている」


                     
(中日新聞050106)
・河村氏・ 断念っ! 名古屋市長選 (中)

 「ワシ、こういう会見、前にいっぺん、やっとるでね。」
 民主党の衆院議員、河村たかし(56)はそう言って笑った。昨年10月末、名古屋市役所で、市長選への出馬表明会見を開いたときのことだ。

 実は、まったく無名だった20年前にも、市長選への出馬表明会見を市役所で開いている。だが、秘書として仕えた旧民主党の実力者、故・春日一幸に説得されると、出馬を断念してしまう。

 そして、20年後も党の説得で・・。しかも今回は、国会の議席をなげうつ重大な決断をしながらの、撤退である。

 河村は「申し訳ない」とわびつつ、「国会で、市民に喜んでもらえる活動をする」と気持ちを切り替えようとしている。

 思えば、河村は巧みに「切り替え」ながら、政治家として歩んできた。

 1993年に日本新党から衆院選に初当選した後、新進、自由、民主と所属政党も変わったが、初当選前の90年には、自民党旧宮沢派の後押しで、衆院選に出たことさえある。

 融通無碍(ゆうずうむげ)。一つの考えにとらわれず、状況に応じて身を処す能力は、政治家として生き残るためには必要なのかもしれない。

 実際、市議の間には、今回の出馬断念を評価する声さえある。
 「危険な選挙はしないのは、この世界の基本。『常識外れ』じゃない。」(自民)「プロの判断」(同)「これで河村ものびる」(民主)

 しかし、”同業者”の反応とは裏腹に、市民の間からは、その「プロっぽい」出馬断念に、落胆の声も漏れるのだ。

 「寂しいよ。結局は御身大事。河村もフツーの政治家だったのか」
 名古屋市中区大須商店街のお好み焼き店主、大久保義夫(61)は、ため息をつく。
 昨年12月、河村は、出馬表明後初の自転車遊説で、大久保の店の前に自転車を止め、「名古屋で改革を」と演説した。大久保は河村に「食ってくれ」とお好み焼きを振る舞い、励ました。
 「党や組織と敵対しようとも、一人、自転車に乗って、オレたちの声を聞きに来てくれる。河村は、そんな政治家じゃなかったのか。」

 確かに河村の身上は、「庶民の目線」である。

 最近、批判を浴びた議員年金も、河村は、何年も前から廃止を訴えている。昨年は、週刊誌で、「国会議員にも国民年金の保険料未納者がおる」と告発、閣僚や党首らの未納問題に火を付けた。企業・団体献金廃止を訴え、自分が代表の党総支部は一昨年から、個人献金しか受け取っていない。
 そんな愚直な庶民派イメージが強かったからこそ、ファンたちの失望は、より深いのである。

 河村は強い、と見られていた。だから、現職松原武久(67)も、河村の公約「市長退職金の廃止」を受け、「減額」をいわざるを得なかった。

 だが、なまじ”強豪”だけに、撤退による喪失感も、より大きいのだ。「投票に行く価値なくなった」(時計店主)「今回は選挙行こうと思ったのに」(タクシー運転手)。街で聞くのは、そんな声ばかりである。

 久しぶりに、自分の一票で決まるかもしれないしちょうせんになる−。河村は自分で市民にそんな期待を抱かせ、自分で吹き飛ばしたのである。 =敬称略
(名古屋市長選取材班)

                     


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