◆私とボランティア040404)


 中日新聞の発言欄において、「私とボランティア」の特集が5回にわたって掲載されていました。その中の一部を紹介します。

 国語辞典によれば、ボランティアとは自由意志で社会事業などに奉仕することとあります。多くの人は、他人を助けるためにすると思っているのではありませんか。でも実際は、自分のためのようです。自分のためになるから、ボランティアをする。その事に気付いていただけたらと思います。そして、どんなことでもいいですから、実践してください。

 
私の場合、このHPの更新はボランティアだと思っています。正直に言って、更新し続けていくためには、かなりの時間を必要とします。他にやりたいこと、やらなければならないことがたくさんあるのに、し続けたいと思うのはなぜか。しかも無償で。このHPが、よりよい蒲郡になるための起爆剤となることを夢見ているからといったところでしょうか。夢を実現しようと思えば、とことん努力します。金にはならないけれども、充実した日々を送ることができます。人間、やりがいのあるものを見つけることが一番です。

                     

私とボランティア 中日新聞

                     


第1回(040303)

『介護の相手に元気もらった』
 寺澤恵子 主婦 62 (名古屋市熱田区)


 私は二年前、突然夫を亡くしました。その後、どうして生きていこうかと思ったとき、フッとボランティアをと考え、あるデイサービス(通所介護)で、利用者の皆さまのお話し相手をさせていただくことになりました。

 痴ほうの方、足の悪い方、いろんな方がいらっしゃいます。初めは、あいさつからと思い、大きな声で「こんにちは。お元気ですか?」と、笑顔で声を掛けながら近づき、だんだん親しくなってきました。

 ある日、九十歳のおじいさんから「おみゃあさん、五十歳か?」と聞かれました。「私ですか。六十歳、過ぎたがね」と、楽しく会話が弾み、「若い人を見ると、元気が出るでよー」と。九十歳の方から見たら、六十すぎでも若く見えると言うことでおかしくなり、楽しい雰囲気になりました。私はその時、元気を与え、また頂いたと思いボランティアをしてよかったと思いました。

 先のことは分かりませんが、一日でも長く、利用者の皆さまと楽しく過ごせたら幸せに思います。



『助けられた命 社会に恩返し』
田村昭十郎 相談員 69 (三重県伊勢市)

 重症の心臓手術を受けた一級身障者です。助けられた命、何か社会に恩返しはできないだろうかと思ったのが、ボランティアの始まりです。

 最初、町内会の役員を十年。この間気になっていたのは、老人問題、青少年育成でありました。民生委員・児童委員を引き受け、少子高齢化社会に真のボランティア精神を発揮し、体験を求めました。

 しかし、一人が声を大にして叫んでも、老人福祉、介護問題一つを取り上げても、解決はできません。多くの人々の行動と、行政の強い後押しが必要です。

 ボランティアは、少しずつの積み重ねの成果で決まります。私は常々「ボランティアはお手伝いです。相手に通じる気持ちを持ち、接することが肝要です。」と言ってきました。困った人に差し伸べた手が握り返されたときの喜びは、最高です。ボランティア精神の神髄です。欲得を離れ、純真な気持ちであるが故です。今後も奉仕精神を大いに発揮して、暗い世に一灯の灯をともすべく、努力するつもりです。



『気分すっきり楽しんで活動』
渡辺成子 農業 68 (岐阜県不破郡)

 現在私は、各種のボランティアに参加し、生きがいを感じている一人です。良いことは友達が増え、人との会話に興味がわいたことです。余暇には、友を誘って食事などに出かけることが、私の喜びであります。お金が目的ではない点、気軽に活動できるのです。

 十年前、私は大腸がんの摘出手術をし、回復していたものの不安な日々を過ごしていました。そんなある日、公民館の階段で、私の背中を「ポン」と一つたたきながら「退職後はね、社会奉仕をしなさいネ」と、恩師が言葉を掛けてくださったのです。その時は、一瞬驚きました。でも今は、その教えを守りながら、今日もボランティアに心を注いでおります。

 参加したその一日は、気分そう快・食欲旺盛、そして深い睡眠へと暮れていきます。人との出会いや触れ合いを求めながら、楽しんで活動ができる自分でありたいと願っております。いきがいをかんじながら・・・。

                     


第2回(040310)

『体験して芽生えた奉仕の心』
 山本冨茂 無職 82 (愛知県蒲郡市)

 「特別養護老人ホームのボランティアに入会した」と家の者に話したら「あんたが介護される年齢だ」と笑われました。しかし、友人に誘われて一日体験し、これならできると思って入会しました。不況で五十余年続けた自営業を廃業した平成十三年のことでした。

 老人になっても、ゲートボールやカラオケなどを楽しむのも悪くありませんが、一日体験でホームの人たちを見て、介護される身より介護してあげよう!と誓いました。私は今を元気に生かされているのだからと、社会奉仕する精神がむらむらと燃えてきたのです。

 「老齢者の不幸は活動能力の衰退でなく活動意欲の消失で、心も貧しくにも豊かにもなる」と、何かの本で読みました。ホームの人たちは、それぞれの人生があったのでしょう。老いて幼い子どものような身障の人ばかりです。心に寂しさを抱いています。手足の不自由な人の世話をし、優しい気持ちで今日も車いすを押して、話し合うのが楽しく、年齢を忘れて奉仕しています。


 注:山本さんは、私の同級生の親族の方でした。ご本人の写真を載せることに承諾していただきました。



『清掃や草刈り 雨でも休まず』
 宮下篤信 無職 64 (名古屋市南区)

 私のボランティアは、誰でもできる簡単なことだけれどやる人が少ない。特に定年退職したホワイトカラーには相当勇気がいる。それは、資源ごみの分別と道路清掃に空き地の草刈り。

 始めたのは、退職して間もなく、自宅周辺の道路が汚れていたのを掃除したのがきっかけだ。その後、名古屋市のごみ分別収集が始まって、当時の町内会長夫妻が、集積場で汗を流しているのを見て手伝って以来、ずっと続けている。当初は分別が悪く、一回に二百五十個ほど出る中に、全く分別されないものが五十個ぐらいあり、朝の五時から悪臭との戦いであった。

 道路掃除も、エリアを広げていくうちに賛同者も増えて楽になり、空き地の草刈りを始めた。ごみは毎週出るし、雑草はどんどん伸びる。道路のごみも掃除を怠ると、ますますひどくなる。

 暑い日寒い日雨の日も休まず体を動かすことは、健康のためになり、地域の人たちとの交流もできて、まさに一石二鳥である。



『介護する尊さ 友人から学ぶ』
 枡田由佳 主婦 39 (三重県松坂市)

 私の知人は、週に何度か病院に行きます。体の具合が悪かったり、家族の方が入院していたりする訳ではありません。知人は、ボランティアとして患者さんたちに、食事や身の回りのお世話をしているのです。患者さんは皆、重い痴ほうや体の不自由なお年寄りばかりです。付き添ってお世話するのも、結構な時間と体力を使うそうです。

 ある時、私が「大変なお仕事だから、お給料はたくさん頂くのでしょうね」と尋ねると、知人は「時給0円よ。だってご奉仕だから」と言うのです。私が「働いても何も買えないし、おいしい物も食べられないなんて」と言うと、「お金が目に見えるから、そう思うのよ」と知人は明るく笑いました。その後、私はどんな人でも、天の蔵に貯金箱があり「ありがとう」と感謝されるたびに、貯金が殖えるのだと思うようになりました。私も知人を見習って、目に見えないお金をためようと思いました。

                     


第3回(040317)

『小さなお礼の喜びを知ろう』
 森 めぐみ 中学生 15 (三重県桑名市)


 私は、ボランティア部に所属していました。なのでボランティア活動は、クラブを通してたくさん行ってきました。

 でも私は、クラブ活動で行ってきたボランティアより、さりげないほんの少しのボランティアの方が好きなことが分かりました。確かに、古切手を集めて誰かのためになったなどという手紙をもらうととてもうれしいです。でも、其れ以上にうれしいと思うボランティアは、ボランティアと呼べないかもしれないほどさりげないことです。机の下に落ちている消しゴムを拾う、友達が困っていたら声を掛ける、そんな小さいことでも、お礼が帰ってきて、そんなお礼がとてもうれしいです。

 きっと大切なのは、まず、小さなお礼の喜びを知ることで、それが、世界のことを考えるボランティアにつながっていってほしいと思います。



『タイで知った金で買えぬ物』
 細洞 有里 会社員 23 (愛知県犬山市)

 大学のころ、タイのチャヤプーン県にある貧しい村で、学校建設のボランティアに参加しました。タイと聞いて思い浮かべる華やかな首都バンコクとは打って変わり、殺風景な村でした。私たちは小学校で寝泊りをしながら、朝から夕方まで、土を掘りコンクリートを練り流し、地道な作業を続けました。

 放課後、村の子どもたちが恥ずかしそうに近寄ってきたかと思うと、一緒に土を運んでくれました。次々と子どもたちが参加し、いつの間にかバケツリレー開始です。力を合わせて建てた校舎。そして、その周りを囲む、私たちメンバーの名前をつけた木。

 別れを惜しみ、抱き合って流した熱い涙が、今も心を温かくします。子どもたちに教わり、一緒に踊ったタイ民謡。物があふれ返る時代に、お金では買えない優しいまなざしと、温かい笑顔を見つけました。本当にありがとう。



『自分のためにさせてもらう』
 岡本 龍児 地方公務員 47 (愛知県蒲郡市)

 ある本で「私にも暇があればボランティアをするのに、という人がボランティアを始めたのを見たことがない」というのを読み、なるほどと思った。周りでボランティアをしている人を見渡してみると、皆さん忙しい。人によっては、二つも三つも掛け持ちだ。

 なぜ、そうまでしてボランティアをするのか。私は数年前から、小学生のいる親子を対象にした環境教育の民間非営利団体(NPO)の手伝いをしているが、その活動から、お金では得られないものをもらっている。それは、子どもの笑顔だったり、「ありがとう、楽しかったよ。」という親の言葉だったり、中には、手紙や年賀状をくれる子もいる。そういったことが、私にとっての元気の源になっている。

 「ボランティアは人のためでなく、自分のためにさせていただくもの」というのが、私の活動をしてみての実感である。



『思いやる心 双方ともに大切』
 矢口 正一 無職 55 (三重県阿山郡)

 十数年来、ボランティアさんのお世話になっています。私たち町の重度障害者の仲間は、月一回定例会を持って俳句の勉強をしています。その時の準備や代筆、トイレの介助。また、年に数回の他市町村との交流会に屋外レクリエーション、日帰り旅行などの外出支援に、なくてはならない人たちになっています。

 それでも、すべて委ねているわけではありません。私たちもできることは努力して、家族も協力して、できるだけ手を空けてもらって、一緒に楽しんでもらうように心掛けています。

 ボランティアとは、する側に「しているのだから・・・」とか、受ける側に「当たり前・・・」とか思う心が少しでもあってはいけないと思います。双方共に、相手を思いやる心と、感謝の心が常に必要ではないでしょうか?

 片方でもその心が欠けると、ボランティアは成立しないと私は思っています。



                     


第4回(040324)

『体の続く限り社会にお返し』
 浅埜あや子 無職 79 (岐阜市)


 私たちは、青春時代は戦争で、食べる物もなく着る物もありませんでした。戦後も戦争中と変わらず、ずっと苦しく生活に追われ、日々のゆとりもなく、夢中で過ごしました。その時代を過ごした者だけが、この思いを知ることができます。

 六十歳を過ぎて、ようやく毎日に暇を見つけることができるようになりました。

 今まで、何一つ社会に役立つこともできず、少しは世の中にお役に立ってお返しをさせていただきたいと、思うようになりました。何かボランティアでもと思い、日赤の奉仕団に入れていただきました。時々奉仕させていただき、その日は、とても気分的に楽しく、お友達とも楽しくお話しすることもできて、うれしく思っております。体の続く限り、させていただこうと思っております。



『役に立ちたい気持ち大切に』
 伊藤慶子 看護師 38 (名古屋市中川区)

 私は、数年前のあの大雨災害後、浸水被害に遭った家庭への掃除ボランティアに参加しました。数日たっていても、床や壁の至る所が泥だらけで、数人で掃除しても半日はかかりました。

 私は以前、福祉施設で勤務していたのですが、正直言って、施設に来てくださるボランティアの方というのはお客さま的にしかとらえていませんでした。しかし、自分が受け入れ側とは反対の、ボランティアとしての立場になったとき、何か人のために役立つことが、これほどすがすがしくやりがいがあるものだということが、初めて分かりました。



『「ちょボラ」で優しい社会に』
 小杉良輔 大学生 21 (愛知県海部郡)

 私は将来、教師になるために、現在は教育学部に通う大学生である。

 先日、道徳教育という授業でこんなことがあった。「『ボランティア』をみんなは間違ってとらえている」と、先生がおっしゃったのだ。正直、私にはその意味が分からなかった。すると、先生はこう付け加えた。「授業中、確かに、みんなの前に出て答えてほしいとき、英語ではこう言うんだ。きごう『アー・ユー・ボランティア?』」

 この言葉を聞いて、そうか!!と思った。私たちは、ボランティアを何か特別なもの、難しいものにしてしまっていたのだ。勝手に自分で遠い存在にしていたのだ。

 ちょっとしたボランティア、通称「ちょボラ」の運動を、地域で進めている所があるそうだ。ごみを拾ったり、机を整えたり…。身近なボランティアは、すぐそこにある。こんな考えを、小さなころから持っていけば、もっと優しい社会になるのかもしれない。



『障害者の私もイキイキ活動』
 藤澤和子 無職 74 (福井県坂井郡)

 今日の障害者バーベキュ大会で/はじめて見せた嬉しそうな/あなたのニコニコ顔。/「さよなら」の握手の時/笑顔の中で一粒光っていた涙/これから色々のイベントにお誘いしますよ。/もう、とじこもらないでね。/ご一緒しましょうね。

 右は、十年前の私の日記の一部です。障害等級二級の私は、ボランティアを受ける側。しかし、障害者の私にだってできることはあるはずです。右手は利くので字は書けますし、言語障害もないのでお話もできます。

 これを生かして、家に閉じこもっている人たちに人の和(輪)の楽しさを味わってもらおうと考え、何人もの人を楽しいイベントに誘いました。明るく元気になってくれて、家族の方から、「とても明るく積極的になりました」と喜ばれ、家族の方や障害のある方とお友達になりました。このボランティアを続けたいと思っています。



                     


第5回(040331)

『私に大きな夢 大きな収穫に』
 岡田まさ子 主婦 73 (三重県鈴鹿郡)


 ”孫守”が無罪放免となった六十三歳のころ、余生の生きがいにと娘に勧められ点訳ボランティアを始めました。当時はまだ点筆のコツコツ打つ手作業で根の要る仕事でしたが、読書が大好きな私にはうってつけで、奉仕と言うにはあまりにもおこがましく、もったいない思いで心を引き締め、今なお励んでおります。

 その間、触れ合った多くの皆さまからバリアフリーの意識に目覚めさせられたことは慮外の収穫で、その後、私が大きな夢を抱くきっかけとなりました。

 当時、鈴鹿農協関支店の女性部長だった立場から「部員の皆さまと何かできるのでは・・」と模索していた時期でもあり、いろいろ考えた末”有償ボランティア”にたどり着きました。そのころすでに伊勢市の農協で発足していて大層好評との方もあり、勇気百倍、立ち上げにこぎ着けました。

 数年を経て、利用者の方から神か仏かと喜ばれましたが、反面難しい問題点にも阻まれ、決してスムーズとはいかない現況です。ボランティアに懸けた私の情熱だけは本物だったと、今も胸の中で燃え続けています。



『「老いの一徹」体力続く限り』
 新矢久男 無職 76 (愛知県海部郡)

 最後のボランティア?と引き受けた団地の自治会長職が、今月末で終わる。「空き地の板囲いが壊れている」「鉄板の溝ふたが割れている」「泥棒や空き巣が多い、所轄署に防犯講話会をしてもらって」など、住民からの苦情や要望が舞い込んでくる。中には「空き地に蛇がいる、何とかして」「軒下のハチの巣を除去して」という注文もあり、その都度「ボランティア、ボランティア」と飛び回った。

 十月の団地祭りには、集会所前の空き地を使わせてもらう代わりに、背丈ほどの雑草の除去をする。その除草も団地役員の仕事ではあるが、家の近い私たち夫婦は少しずつでもと思い、早朝の二時間ほどかけ、三週間できれいに仕上げた。十二月の町の年中行事である、へどろのくみ上げの前には、側溝縁の除草を二人で一週間かけてやってのけた。

 息子たちには「ボランティアもいいが、後の会長が困るでしょう」と強くしかられた。だが老いの一徹で、今後も体力が続く限りやっていこうと、ひそかに思っていいる。



『地域への活動 人生を豊かに』
 辻 栄子 教員 52 (三重県四日市市)

 学生時代、ボランティアはしないという友人がいた。「足代も出ないのに何でそこまで人に尽くす必要があるんだ」が、彼の口癖だった。理論家の彼らしい発想だなと、苦々しい気持ちをぐっとしまい込んでいた私。

 五十路(いそじ)を過ぎたこのごろ、やっと昔の彼に「それは違うよ」と、胸を張って言える自分がいる。ボランティアは人のためじゃなく、自分の人生を豊かにするアクションなんだよ。社会から認められる存在であることが、いかに人生を豊かにするか、痛感する毎日だ。私にとっては、人との交わりの中に、とてつもない幸せを感じる。

 晩年は、利潤の追求でなく、ぜいたくのためでもない、心の充足のため、ボランティア活動に身を投じようと考えている。


                     

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