★(平成15年12月定例会 鎌田篤司議員)

中小小売商業高度化事業

中心市街地活性化区域の描くところを私なりに考えるに、蒲郡駅から南側は海をテーマにした、観光蒲郡の新しい玄関の顔としてのまちづくりが考えられているようでございます。また、そのまちに対比される駅の北側については、江戸時代から西の郡のまちとして発展してきたところを考えあわせますと、歴史と文化が感じられる商店街を含めたまちという位置づけをしてもよいのではないかなと思います。南側とはまた違ったまちの顔づくりを考えてよいのではないかなということを思われます。

 ここで、伊藤天章氏の「蒲郡風土記」の一文を要約して披瀝させていただきます。

 本町銀座の道路沿いに小さな神社がある。この神社が市神様である。その昔、神ノ郷の鵜殿氏が栄えたころ、城下の市場、現在は殿市場という地名で残っておりますが、その城下で毎月、五、十の市が開市をされていた。これが世にいうところの有名な「五・十の市」であった。鵜殿氏が没落してからまちの中心が下ノ郷に移ってからは、これは現在の私どもが住んでおる蒲形という、西ノ郡のところでございますが、その西町、東町を中心に「五・十の市」が開市されて、それからは西ノ郡の市として、牛久保の「二・七の市」、土呂の「三・八の市」とともに三河の三市として大いに賑わったと書かれております。そして今、その西町、東町が含まれている蒲郡商店街では、歴史・文化を生かした蒲郡商店街の回遊性を高めるイベントとして、中心市街地活性化事業として検討をされております。市は商店街の原点だと考えあわせますと、TMO事業のイベントとして歴史ある「五・十の市」の復活は蒲郡市としても、また、商店街としても意義あることだと考えます。

 TMO事業は商店街の方々が中心になって、現在、研究会も立ち上げて頑張って進めておられますが、もちろんこの事業は商店街の方々だけで成功するものとは考えられません。まちは商店街だけではございません。一般の市民の方々が、また、さまざまな立場の人々がかかわり、協力し合って、新しい蒲郡のまちの歴史・文化をつくり上げていくことが必要だと思います。

                     

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送