『ボランティアとは』

★(平成17年6月定例会 大場久充議員)

 次に、第2番目のボランティアについてに移ります。
 
蒲郡市は、ご案内のようにいろいろなボランティアや、慣例行事にはよく市民ボランティアを頼んでいます。イベントを見て楽しんでいる一部の人にはいいのですが、半ば強制的に参加をさせられ、ボランティアを強いられている人には、不満、不評であります。

 私は、市民の自主性をもっと尊重すべきと思います。ボランティアの割り当てをしなければ人が集まらない程度のイベントならば、そのイベントはやめるべきであります。割り当てをしてまでの市民参加はさせるべきではありません。私は、割り当てをしてまでボランティアを集めて、市のイベントをすべきではないと考えますので、以下順次お伺いしてまいります。

 まず、日本で有名になったあるボランティアの例を挙げたいと思います。
 時は平成9年1月、ロシア船籍タンカーからドラム缶3万1,000本分の重油が流れ出ました。被害は日本海側の9府県にも上る未曾有の大事故でした。各地の浜はどす黒く汚れ、向こう5年間、海はよみがえらないとまで言われました。地元の漁師たちにとってはまさに死活問題です。
 浜と漁師を救ったのは、バケツとひしゃくで重油をすくい続けた30万人にも及ぶボランティアでした。善意が奇跡を起こしたと世界中で報道されたこの快挙の陰には、ボランティアをまとめるために奔走した地元の青年たちの姿がありました。建設会社を営む35歳の彼は、会社を休み食糧の調達、宿泊場所の確保、作業の指示など、地元の商店主や青年たちとともに膨大な作業に取り組んでいきました。連日の悪天候のため、作業は中止が続きましたが、それを乗り越え、人々の善意がわずか3カ月で浜をよみがえらせていきました。いざとなったらボランティアとして協力していくという、本来の人間のあるべき姿がここにはあるような気がします。

 もう1つ、阪神淡路大震災における暴走族の話をしたいと思います。
 暴走族は、大きな音を立て、派手な格好で町中を走り回って、人に迷惑がられていますが、彼らが阪神淡路大震災のときには、戦闘服を翻させながら、バイクで荷物を運んだというのです。昨年10月の深度7の中越地震でも、暴走族が慰問品、支援品をオートバイで運びました。それにより、暴走族は地域住民に貢献し、感謝されました。これは当然行政が暴走族に依頼したものでもなく、自主的にボランティアをしているわけです。こういうところにボランティアの創造性や豊かさがあるのです。

 ボランティアの語源は、ご存じのように、英語の志願兵からきており、強制されるのではなく、みずから進んで参加するというものです。私が今さら申し上げるまでもなく、ボランティアで大事なことは、自主性、無報酬、公共的、創造性の4つであります。ボランティアは、他から強制、強要されることもなく、また義務や仕事でもありません。自分自身が主体的に考え、自分の意思に基づいて自主的に参加することが大前提であります。自分が何をするのか、それを自分自身が決めることであります。まさに、自主性こそがボランティア活動の最も大切な要件であるといっても過言ではありません。

 先ほど挙げた4つの条件のうち、例え他の3つのものが欠けたとしても、自主性だけが外れてしまったら決してボランティアとは言えません。だれからの命令でもない、義務でもない、みずからの意思で自由に動けるときこそ、ボランティアはフットワークの軽い創造的な動きができます。
 そこで、第1点目の質問として、蒲郡では市主催、共催、あるいは実行委員会主催などの各種イベントでのボランティアの状況、また募集をしたらすべて100%自分の意思だけで集まってくるボランティアなのか、市役所職員、民間会社、各種団体等も含めて、あそこで何人、ここで何人、集めてくるという、半ば強制的に割り当てのボランティアをしているのではないかお尋ねしておきます。

 第2点目の質問として、割り当てはやめるべきと考えます。割り当てをしなければ人が集まらないようなイベントならば、無理してイベントすべきでないと考えますが、どうでしょうか。お伺いしておきます。


◎草次英夫企画部長(大場久充議員への1回目回答)

 大場議員お尋ねのうち、2番のボランティアについてお答えいたします。1の天下りと再任用につきましては、後ほど市長より答弁があります。

 イベントには、蒲郡まつりや農林水産まつり、あるいは市民音楽祭、あじさいまつり、エリカカップなど、市がそのきっかけをつくったもの、市民団体や産業界などできっかけがつくられたものなど、その目的や内容、運営組織の形態などもさまざまですが、ボランティアの存在がなくては考えられないものがほとんどだと思います。
 これらのイベントは、観光振興あるいは市の活性化になっていると考えております。さまざまな団体、人が目的に賛同して参加していますので、運営スタッフ等、ボランティアの参加について、参加関係者の合意のもと、必要があれば動員がされると思います。その中には、自分の意思に反してスタッフにつくこともあるかと思います。現在市では多くのイベントにかかわっていますが、
改めてその目的と事業効果を整理し、見直しできるところは変化させながら、関係者と協議をしていくことが必要だと思いますが、イベントへの参加が社会参加へのきっかけになり、それによって市民の社会参加が進むことが、いわゆる協働への第一歩になることも期待をいたしております。
 以上で答弁を終わります。



◎大場久充議員の2回目質問)

 次に、2番目のボランティアでありますが、ちょっと説得力がないなという気がしております。活性化は、イベントでするのではなくて、別の形で私はすべきだと思うんです。活性化につながるということであるならば、それによって具体的に蒲郡の人口は何人ふえたのか。調査はどうしたのか。だれがやったのか。いつやったのか。経済効果は幾らあったのか。費用対効果はどうだったのか。そういう答弁ができるならばしてもらいたい。もし答弁がないなら、活性化に具体的につながったということはないと判断せざるを得ません。

 昨年の一般質問の答弁である部長が、ボランティアは自然発生的に出るものだという答弁がありましたが、今の答弁ですと若干違うなという気がしております。市の職員もイベントのボランティアに出ることがあると思いますが、これが強制的に見えます。あるイベントでは、実際に入場の整理は企画関係、駐車場の整理は総務関係とか、かなり割り当てがあったと。これでは自主性があるボランティアとは実際には言えないと思うのです。

 私は今愛知万博でボランティアをしております。ボランティア仲間には、遠くから東京、あるいは北海道から来ます。1日五、六時間のボランティアのために来る。どうしてかというと、
やはり自分でこれをやりたい、あれをやりたい、そうしてボランティアが来ると思うんです。それが本当の自主的なボランティアだと思います。市民の自主性が成り立っているボランティア、イベント、これは割り当てをしてまですべきではないということだと思っております。市役所はボランティアという言葉を間違った日本語を使わずに、正しい日本語を使うべきと申し上げて、これは終わります。



                     

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