『競艇の改革一般』

★(平成16年12月定例会 山本和市議員)
 
 それから、あとは競艇問題を少しやりましょうか。
 百一の問題は、これは関係当局と、それから、議員の方も真剣に理解をされて、市長を先頭に、岡崎にぶつかっております。ただやり方が甘い。けんかをしろと。裁判をやってもいいからけんかをしろと、こういう気持ちがこのごろほうふつと沸いております。だから、岡崎の友達にはおれはけんかするぞと。そう思って殴り込みをかける、そんな暴言も吐いておりますけれど、正直、そんな気持ちです。

 なぜこんなことを申し上げるかといいますと、蒲郡競艇というのは、非常にいろいろな問題があります。そこで部長は注意というよりも、いろいろな慰めというか、ご忠告、激励だというようなことを言われておりますけれども、
岡崎交付金の問題です。これは考えてみますと、30年から平成16年までに196億8,839万円、これだけの金を百一のために何にもこない。株券は持っております、権利は持っております、岡崎は。これは、仮に、何しろ30年から平成16年まで196億8,839万円、これだけ岡崎へ交付金を渡しているわけです。特にこの問題でいつも僕は弁護士とも相談をし、いろいろしておりますけれども、双方問題があったときには、覚書の中にも、契約書の中にもありますように、契約書の9条の中に、「本契約に定める以外の事態が発生した場合は、甲乙双方協議の上、これを決定をする」というふうになっております。当時は時限法だった。しかし、永久法になった。三連単、ナイター、いろいろな事態が変わってきております。これをとらえて、やはり向こうと協議をして、どうするか、こういうことをやらなければならないということで、この契約書に基づいて、僕は考えてもらわなければいけないというふうに思っております。

 それから、後でまた言いますけれども、ファンの関係、いろいろな関係ありますけれども、蒲郡市競艇事業振興事業調査会ということで、11月17日の協定書の競艇の関係の報告書をいただいておりますから、何遍もなく読みながら、こんな調査の仕方ではいけないなとか、これはいいな。なかなかおれと思ったことが一緒だなというふうなことを思っておりましたけれども、これも見ていただきました。見させていただいたというか、それをしました。ですから、大胆に岡崎に、要するに、50年を過ぎたんだから、そろそろ考え方を改めたらどうかと、こう思うんです。蒲郡は非常に、考えてみるといろいろなことを書いてみました。正直、あのライブドアか何か知らないけれど、ああいうところへ委託したらどうだろうと。もう蒲郡は岡崎に全部ばかにされている。今まで蒲郡は50年やってきた、この契約書に基づいて、今度は岡崎にやっていただく。私の方は省いてまいります。職員が欲しければ全部移譲いたしますというセンスで、新しいセンスでやってほしい。こういうような気持ちで、一部のものには僕は言ってありますけれども、そういうことはどうだろうと、こう思うのであります。

 考えておりますと、経費の節減の問題もいろいろあります。これは1つの例を言うならば、ナイターの時間延長の問題なんかもありますので、あの夜のナイターの照明灯の料金だけでも大分節減できます。職員も精査をすれば、半減とはいかないけれども、相当な人間が減ります。それから、職員の問題をいえば、このごろ非常にサービスが悪い。ファンを大事にしない。初めはファンクラブの連中は期待をしていた。ああ、なかなか新しい人が来たから蒲郡競艇もいいだろうと、こういうことを言っていた。確かに、全体とはいいませんけれども、ある人は全食堂を食べて回って、食事がまずいか、うまいか。どうしたらいいか。あるときは、入場者に対してありがとうございますということで、職員が全部あいさつをしていた。「おお、会長。このごろ全然それが言葉も出ないし、大体ファンをなめておる」、こういうような声がある。それから、ファンクラブで私どもは年に1回、2回、観戦ツアーで行きます。このときの、ここにも出ておりましたけれども、経験というか、利用者の多いのは15年とか20年の人が非常に経験の多い人が多いんです。全部知っている。選手のくせから、だれがどうだということまで知っておって、とことん注文をつけられます。蒲郡競艇も本当にそういう意味においては、やはり宣伝が悪いというよりもむだの多いのをやめて、マンネリ化された宣伝ではだめなもので、新しい宣伝の時間をつくってほしいと、こういうふうに思っております。

 考えてみると、
蒲郡競艇は、昭和30年8月23日、時に午前11時27分30秒、全国で23番目の競艇場として産声を上げました。以来、来年が節目の50年であります。まず、この辺で半世紀ですから、50年頑張ってきた、蒲郡が。本当に真剣に職員の方を初め、もう死に物狂いでやってきた。この間には伊勢湾台風もありました。未曽有の被害をもたらした東海地方の伊勢湾台風の問題、または、時限立法から永久法への会期の問題、それから、48年の10月には、全世界を激震をしたところのあのオイルショックの問題、考え、歴史をひもといておりますといろいろなことがあります。しかし、それを乗り切ってきた。そして、積立金をためて下水道、水道、病院、一般会計等々へ繰り出しをして蒲郡をきょうまでもってまいりました。ですから、そういうことを考えてみますと、今、本当に蒲郡は競艇は正念場だと。

 あと、ファンクラブの関係とあれで、競走場の問題、観覧席の問題がありますけれども、一番苦になったのは、今、蒲郡競艇のファンが他場へ逃げているよという、知っているかと、おまえは。いや、そんなことはないと思うけどもと言ったら、大体が官僚と同じような考えを持っていてはだめだと。一遍聞いてこい。こういうように名古屋の人に、社長に言われましたけれども、それはともかくとして、この今の観覧席、来賓席、あんなところで20万円、30万円、100万円と購入することができるか、こういう意見なんです。電話をして、きょう、蒲郡競艇行くかと。あまりいい選手もいないし、まあしようがないじゃないかと言っていると、それよりも大きいのは、あの来賓席、ファンクラブの隣の部屋みたいですけれども、ここに行くと、要するに5万円とか10万円、100万円とは言わないけれども、中には大口で買う人がいるんです。そうすると、みんなが後ろで見ているわけです、いやだ。だから、おれはよそへ行ってやると。こういうようなことも実際出ているんです。ですから、そういう点も考えて、やはり競艇に関する問題は、いろいろなことがありまして、
私もファンクラブの会長なんていうことを受けましたので、結局、1日に1回とはいかないけれども、週に2、3回は顔を出さないと、だれかかが問題にしますので、行けば、一人、二人の人には必ず呼びとめられて、いろいろなことを注文を聞いてまいります。おしかりも受けます。おれの方からファンに言うこともあります。注意をすることもあります。そんな関係がございまして、一番の財源の競艇収入でありますから、やはり考えなければいけない。どうにも考えがつかないなら、岡崎にやってもらう、50年を過ぎたから。百一の問題も含めて、ややこしいことを言っているなら、岡崎がやってくれと。50年間半世紀でやったから、来年はちょうど50年の節目だから、岡崎でやってくれと。あんたのところの市に職員がおればそれでやれと。なければおれの方から優秀なのを送り込むと。こういうことです。

 それから、公営競技の交付金の問題の制度の改善に向けてという話があります。大変難しい。何%、何%ということで決められております。
 これは、考えてみますと、平成12年の2月のときに全労協から問題を提起しました。しかし、全労協だけではこの問題は解決できない。だめだ、はっきりこう言った。どうしたらいい。当然、これは、要するに、競艇だけではなくて、公営競技全体であるから、要するにいろいろな問題があります。今の地方公営競技の競艇が連鎖倒産の危機に瀕しているとか、いろいろないいことが書いてあります。しかし、これらを読んでも、蒲郡だけではだめ、競艇だけではだめだと、要するに、きょう、僕が申し上げたとおりに、この公営競技の問題について、交・納付金については、やはり蒲郡市長が先頭に立って、施行者として声を上げる。それに従事員、全労協もついていく。全公営競技の連中も一緒になってならなければいけない。相手は官僚のプロ、税金のむだ遣いをしている。ところが、約束したのは、もうかっても、もうからないでも取るというのが今のシステムなんです。この辺は声を大にして、ひとつやっていただきたいと、こう思いますけれども、来賓席の問題、考えてみれば、一部ファンクラブの部屋を変えて、5階の部屋の半分はやはり来客者の方の部屋にする。正式な来賓の方の部屋にするとか、または、よその方でやっているように、会員制にして、会員、特別会員、20万円、30万円とって、もうその人だけに譲るというような方法もあります。そういうことも勉強して、蒲郡を考え直し、原点に戻って考えてもらいたい。原点に戻る、戻るといいますと、僕はもう、これは考えてもしようがないから岡崎にやってもらえば一番いいな、全部岡崎に、50年過ぎたから、岡崎が全部やってくれと、おれの方は金をもらえないでいいと、百一もらって、あとはずっと借上料をもらって、そうすれば相当な金が入るからいいと。こんなことも冗談に言っておりまして、正直、まだ時間があれば、余りないようでありますけれども。

 実は、
地元の衆議院の鈴木衆議院議員が、やはり質問をいたしました。それは三位一体の問題であります。これは決定をする前の問題であり、11月9日、午前中の委員会でやっておりました。ちょうど時間がなかったものだから、よそへ行っておりましたら、秘書が飛んできましたので、傍聴をしました。そうしましたら、全部、原稿、答弁書がまいりまして、これを読んでおりましたら、なかなか勉強しているけれども、これは実際自分で書いたのか、書いてもらったのかと思っておりましたけれど、大体初めは、副大臣の答弁で終わってしまっている。最後は国務大臣だとか、そういう大臣が答弁をして、はい、ちょん。こういうことです。これが日本の政治なんです。官僚政治。優秀なのが多すぎるかと、こういうことでありまして、いろいろなことを申し上げましたけれども、お答えをいただけるところからお答えをいただき、次に移りたいと思っております。
 どうぞ、お願いいたします。


                     

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